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のだめカンタービレ 17巻 感想 ミーナの涙は玉虫色♪ [のだめカンタービレ]

わたしはのだめが好きなんだなぁ・・・と思う。

ドラマのレビューも、のだめが好きだったからあれだけ燃えて書けたんだよねー。(←ついでに今クールドラマのレビューが中断している言い訳も・・・(-∀-;)

のだめカンタービレ #17 (17)

のだめカンタービレ #17 (17)

  • 作者: 二ノ宮 知子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2007/02/13
  • メディア: コミック

17巻、ついに千秋のパパ・世界的ピアニストの千秋雅之が登場しました。

ル・マルレーを再生に導く第一歩を踏み出した矢先、真一は痛恨のミスをしてしまう。その原因となったのが千秋パパへの思いでした。

「自分は父親に見捨てられた」

幼い頃から真一がかかえる父親への複雑な感情は、常に彼の対人関係に暗い影響をあたえているほど深刻なもの・・・

ここまで長い間この作品とつきあっていると、なんだかもう千秋とは旧知の仲の友達のようなつもりになってるので(妄想)、千秋パパの心無い冷たい言動にハラハラしたり腹が立ったり、「ああ、でもやっぱり親子だよなあ、この二人。よく似た性格だわー。ちょっとしたことを根にもつトコロとか(笑)」などと思ったり。

父親と再会して、子供のころに逆戻りする真一の気持ち。「いいところを見せて見返してやる」「オレって進歩ない・・・」

「僕たちは音楽で繋がっている」というヴィエラ先生の言葉を、いつも大事に胸に抱いていたのは、真一が幼い頃、父・雅之との繋がりを求めて拒絶された傷にも起因していたのですね・・・。

でも真一は多くの人にささえられていますよね。のだめたちはもちろん、ふだんは口の悪い長田やアンナも雅之の真一への態度を心配し怒っていました。

弾き振りのバッハを演目に入れることを指示したのは、シュトレーゼマンとデプリーストでした(16巻)。そして父・雅之をムリヤリつれてきたのは、ニナ・ルッツ。これは偶然なんでしょうか。ミルヒーは元マルレの常任指揮者、デプリーストはマルレの音楽監督、そしてニナも若い頃はマルレで演奏したことがありマルレの将来を心配していました。たしかニナがミルヒーのマーメイドジュース(笑)のことを茶化して笑うシーンもありましたし、ミルヒーは「ニナ・ルッツ音楽祭」にも頻繁に顔を出しているようだし、二人は親しい友人関係・・・?彼らは真一に父の前でピアノを弾かせることで克服して欲しいことがあったのでは。そのためにミルヒー・デプリースト・ニナの間でなんらかの話し合いがあったんじゃないかなぁ、と想像してしまいました。

16巻まるまる全部かけて準備された常任デビュー公演の成功シーンも真一の感情部分の描写はほとんどないので、17巻の真一は終始せつなくてつらそうな表情ばかりしているイメージでした・・・

さて。のだめの成長がさらに著しいです。かつて苦い思いをしたコンクールへの出場もやる気まんまん、先生たちも「あの子ならやるかも」と期待しはじめていて、いつの間にか苦手だった初見まで褒められるようになっています。

千秋の弾き振りを見て焦り嫉妬するのだめですが、オクレール先生にはコンクールへの出場はまだ時期尚早と制止されます。

「今がベーベちゃんの正念場ですヨ」というのがオクレル先生の考え。

魅力的ではあるけど、いいかげんでおおざっぱな部分が多いのだめのピアノのアラを無くすべく、丁寧にひとつひとつ技術や知識を積み上げさせ、根気良くコツコツと育ててくれています。

そんなオクレール先生のことを「ヨーダ」と呼んで慕ってついていこうとするのだめ。本当によい先生にめぐりあえましたね・・・。

そう、ピアノだって魔球や超能力みたいな邪道ばかりじゃダメなんデス!いくら天才でもけっきょくはひたすら地道な練習があるのみ。テニスに王道ナシ、デスよ!(BY「エースをねらえ」宗像仁の名台詞。ドラマじゃないよ。山本鈴美香の原作マンガのほうです。若いコにゃわかるまい・・・^^;)

そして、ヨーダのあのつぶらでキレイな瞳は、もっと先、もっと上の、将来ののだめの姿を見つめている。

いまコンクールなんかに出てある程度の成績を残せたら、のだめはそこで満足してしまい、彼女の大きな才能の芽はつぶれてしまう・・・・

ヨーダはそんなふうに考えているのではないでしょうか・・・。

「でものだめちゃん、今のままじゃ千秋とはいっしょにいれないね」

かつて、ボーッと千秋に恋して勝手に自己満足していたのだめのお尻をたたいたのはミルヒーでした。

千秋という山の頂上を目指して、ただただ駆け上ってきたのだめ。

のだめの目標が「千秋センパイとの共演」というところで止まってしまっていることを知ったオクレル先生は、今後はのだめに何を教えていくのか・・・・。

のだめは「ライバル・千秋雅之」のコンサートを聞きにゆき、自分の気持ちの落ち着きどころを見つけます。「すごかったですヨー。ドスーンときました。」

嫉妬心と焦りを向上心に昇華させ、打倒・千秋雅之を誓うのだめ。

「でも・・・・なんか悲しかったです。ピアノだけなのかって・・・・」

ちょっととらえどころのないナゾな言葉ですよね。千秋も意味をはかりかねていました。のだめの発言ってけっこうこういうの多いんだよなぁ。

前後の文脈からすると、二種類の解釈ができませんか?

① 千秋雅之は、一見冷たい人に見えるが、「ピアノ」を弾くことで「だけ」自分の内面にある温かさや愛を表現することができるように思える。不器用なだけで本当は優しい人なのではないか。しかし自分の本当の気持ちを「ピアノだけ」でしか表現できないのならそれは「悲しい」ことだと思った。

(追記)あのコンサートで雅之が表現したピアノは、多くの観客そしてのだめにも「愛、優しさ、深い哀愁、切なさ」のような叙情性を感じさせる内容だった。感性豊かなのだめはそこに雅之が「夫、父親としての愛をそそげなかったことへの後悔、自責の念」のようなものを感じとったのではないのか。だからこそ「センパイも聞きに行けばいいんですヨ~」「ピアノだけなんて悲しい」と言ったのかも。(わかりにくい表現だったみたいなんで少し文章を直し、コメント欄より転記して追記しました。)

② 千秋雅之のピアノはすばらしく、ぜひオーケストラとあわせてやって欲しい。そしてその指揮は千秋が振るべきものなのではないか。でもいまのところ彼は「ピアノだけ」でしかやるつもりがないように思える。つまり千秋に歩み寄る気持ちがないようだ。それが「悲しい」。

最初は①のほうだと思ったし他の人もこの意見が多いみたいなんだけど、よく考えたら②もアリなんじゃないかなぁ、と・・・。どっちもアリって気がしませんか?

17巻も前巻から引き続き、静かにゆっくりとした展開で、でもその分味わい深く丁寧で満足度の高いお話でした。でもきっと恋愛モノを期待している人には物足りないんだよね、コレ。パリに留学してからはもうずっとこんなかんじでなので、最初のころのバカバカしさだけが好きだった人はもう読むのやめちゃったりしてるみたいですネ・・・でもわたしはやっぱりのだめが大好きデス!二人の成長をこれからもずっと見守りたい^^そして、千秋親子が解り合えるトコロを見たいな。これからも楽しみです。

そうそう、ギャグだって健在ですヨ~~。たしかに前は電車の中では読めないぐらいに死ぬほど笑えましたが、最近はクスっという程度。でもちっちゃくても濃い笑いデスからね!

❤わたしの17巻のツボネタ❤

♡ ふたりともボケなのが敗因なんですかね・・・・関係ないけどうちの夫婦はふたりとも基本的にはボケです。でもうちのだんなさんのほうがボケ度が高いので、仕方なくわたしがツッコミを担当することに。千秋のようにピリっとキレのある気持ちの良いツッコミができるよう日々精進中。

♡ 「ミーナの涙は玉虫色」・・・ミルヒー、若い頃から意味わかんない性格だったんデスね・・・(笑)

♡ 「ハッピーバースデイ、ルイーズ♡」・・・また若き日のミルヒーエピソードです。彼女のためにコンサート会場で手品までやったらしい。カイ・ドゥーンさんがマジギレしてるのが笑える。

♡ ユンロン大活躍。「うっかり惚れそうになったヨ!!」「恋のレッスンWBA」

♡ カズオ時計。さっきも3時で・・・今も3時?(笑)

♡ 「最高のねぞうデスね」・「マイナスイオン」「充電~❤一週間分・・・」

✦ 2007/2/21・・・あれからまたいろいろ考えてしまって一部に加筆しました。愛が深すぎてすごく深読みして考えちゃうみたいデス・・・。


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コメント 8

sky-w

激しく共感ですv
ちなみに私は今のところ①の解釈ですが・・・

Kiss本誌では「打倒千秋親子!」だったのが
「打倒千秋雅之!」になってるのがかなり気になってます・・・!
by sky-w (2007-02-17 15:08) 

banana

月栗さん、こんばんは✿はじめまして。
コメントとナイスをありがとう。
月栗さんは中学生なんですね~!
わたしはたぶん月栗さんのお母さんと同じくらいの年です^^;
共感してもらえてうれしいです^^

>Kiss本誌では「打倒千秋親子!」だったのが
「打倒千秋雅之!」になってるのが

へぇぇ。コミックス派(たまにKiss本誌立ち読み)なので知りませんでした。教えてくれてありがとう。
話の流れからしたら、のだめのセリフは「打倒千秋親子!」というほうが自然ですね。
なんで変えたんでしょうね~???
by banana (2007-02-18 21:23) 

ことり

bananaさん、はじめまして。17巻が発売されてから悶々とした日々をすごしています。
色々な方の感想を読んでいましたが、こんなに明確で今までの流れをすべてふまえて、奥まで読み取っている感想ははじめてです!
とっても共感しましたし、なるほどと思うところも多々ありました☆

ちなみにわたしの解釈は、千秋雅之が家族や家族への愛を捨てて、ピアノだけを選んだ(ピアノしか残らなかった?)という意味でとらえていました。
・・・いかがでしょう??

18巻、それから今後の展開が楽しみですね! 二ノ宮先生はすごいですね!演奏シーンは本当に音楽が流れてきそうに圧巻ですし、音楽をやっていくとはどういうことなのか、とか才能のことなど、本当に熟知して描いてらっしゃるのがすごくよくわかります。

音楽(ほかもそうでしょうけど)と真剣に向き合うことは本当につらいことですし、うまいだけではやっていけないこともありますし・・・。

わー、人様のブログにこんな長々とコメントしてしまいましたっ!失礼しました。

打倒千秋親子から変更されていたのはとっても気になりますね!今後の展開でわかっていくんでしょうか。

また遊びにこさせていただきます☆
by ことり (2007-02-22 10:53) 

banana

ことりさん、はじめまして^^コメントありがとうございます^^
共感していただけてうれしいです~^^
わたしもことりさんと同じでこういう話がしたいなーと思ってあちこちのブログを渡り歩きましたよ~。
のだめってホントいろいろ語りたくなるんですよね。面白い意見の方がたくさんいて楽しいです。

>千秋雅之が家族や家族への愛を捨てて、ピアノだけを選んだ(ピアノしか残らなかった?)

おお、そうか。そこのところのことを言ってるのかもしれないですよね~^^うんうん、なるほど。ご意見ありがとうございます^^
17巻では千秋雅之の性格描写はまだ断片的で、真一の記憶の中の父親のイメージを覆すようなものはないけれど、ものすごく不器用な人なんだろうなぁ、というのは感じますよね。
その性格が原因で妻や息子とすれ違いがあってうまくいかなかったのだろうなー。
真一は父親が「自分の芸術に集中するために「鬱陶しい」家族を切り捨てた」と思ってるけど、わたしはそれだけではないような気がします。
17巻の千秋の回想に「それでも父親?」「どうせね、失敗したんだ」という場面が出てきますよね。
芸術のためだけではなく、雅之は誤解でうまくいかなくなった関係に疲れて逃げて投げ出してしまったのではないかな、と・・・
千秋親子の間には、解決していない誤解がある気がします。
のだめが聞きにいったコンサートで観客が雅之を「情感豊かな叙情性」評し、のだめが「冷たい人かと思ったけどそんなことないデス」と感じた雅之が表現したピアノは、「愛、優しさ」のようなものを感じさせる内容だったのですよね。
感性豊かなのだめはそこに雅之が「夫、父親としての愛をそそげなかったことへの後悔、自責の念」のようなものを感じとったのではないのか。
だからこそ「センパイも聞きに行けばいいんですヨ~」「ピアノだけなんて悲しい」と言ったのかな、と。
のだめは無神経にみえるけど、いままでも千秋のココロにきちんと寄り添って千秋の悩みを解決してあげているし、こんども「雅之のピアノを聞けばわかる、誤解が解ける」と直感しているんではないかな~・・・
などと、ことりさんのコメントをきっかけにさらに細かくいろいろと考えてしまいました。
・・・すっかりコメントが長くなってすいません^^;ついつい長々と語ってしまいます^^;^^;

こういうウザイぐらいの長~~~い語りがおいやでなければ、ぜひまた遊びに来てください~^^
by banana (2007-02-23 12:06) 

ことり

おおおおー、なるほど!
①を読んでもそこまで理解できなかったわたしを許してください~。

深い! bananaさんはすごいですね、本当に。
(わたしの考えがとっても表面的なのが恥ずかしいっっっ ***)

なるほどーです。
bananaさんの解説はわかりやすいですし、文章、テンポもすばらしいですねー。ほれぼれ。
あと、すごく広い視野からみてらっしゃるので、偏っていないというか。

とにかく、はっきり言葉にしてくださっているので、自分のもやもやがはれて気持ちいいです(笑)   そう!それが言いたかったんです!!みたいな。
(でも実際はそこまで考えられてない・笑)


他の記事も楽しくよませていただいてます!
ごはんもおいしそうでー♪ (くいしんぼう)

これからも楽しみにしてます☆
by ことり (2007-02-23 15:57) 

banana

いえいえ、そんな!とんでもないです!
実際のだめが「悲しかった」のは雅之に「ピアノ以外はなにもない」っていうところを感じからかなと思いますし、わたしはことりさんのご意見の通りだと思っています!
ただわたしはその気持ちをもっともっといろいろシツコク考えちゃってそこの部分でコメントが長くなってるだけですので・・・
あー、ほんとわたしってしつこい性格なんですよねー^^;
しかもその対象がのだめっていうところが自分でも笑えます・・・
こんなワタシにおつきあい下さって恐縮です・・・^^;
しかも他の記事まで読んでくださってるなんて~( ̄▽ ̄*)ポッ
また気が向いたらどうぞ遊びに来てくださいね^^
楽しくお話していただけるとウレシイです^^
by banana (2007-02-23 17:42) 

ねこでこ

bananaさん、こんばんは~!
す、すごいです、bananaさんってば!
「ことりさん」へのコメント(いきなり割って入ってゴメンナサイ)の

>のだめが聞きにいったコンサートで観客が雅之を「情感豊かな叙情性」評し・・・・(中略)・・・・だからこそ「センパイも聞きに行けばいいんですヨ~」「ピアノだけなんて悲しい」と言ったのかな、と。

「悲しい」の意味がずっと分からなくて、よその感想観ても納得できなかったんだけど、ここ読んでメチャメチャ、スッキリしましたデス!
bananaさん、天才!感謝~!
by ねこでこ (2007-02-23 19:33) 

banana

ねこでこさん♪こんばんは~~^^

わ~、ねこでこさん、そんなに褒めてくださってありがとう^^
「悲しい」についてはいろいろ意見があるみたいですネ~。
ねこでこさんと意見が一緒でウレシイです^^
芸術家には、本来人として情けない部分であるような、ネガティブな感情や弱さや諦めや後悔のようなものまでも、芸術として表現することで、人を感動させる美しいものに変えてしまうような人がいるんだなぁ、って感じたことが何度かありました。(なんだかエラソーな言い方ですが・・・^^;;)
二ノ宮さんは、巨匠・千秋雅之をそんな芸術家として描いているんじゃないのかなぁ~と想像してみました。
ピアノの弾ける男性が大好きなワタシですが、個人的には雅之のようなめんどくさい性格の男性は苦手です^^;
by banana (2007-02-24 23:41) 

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